また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

一歩進んで一歩下がる

絶望と前向きな気持ちを考えながら一日が過ぎていく。


彼の死を完全には受け入れていないけど

受け入れていないわけでもない。

今にも来そうな感じがする

でももう来ないことも知っている。


死んだなんて嘘だよね

うちを置いていったりしないよね

ずっと一緒にいてくれるよね

そう思いたいのに

彼の死んだ時の顔が浮かぶ。

あの日彼のお母さんが来たことを思い出す。

はっきりとした映像がながれる。

あぁ…彼は死んだんだ。

眠ったような顔も冷たい感触も覚えてる。

ある意味受け入れることができてるのは

3日間死んだ彼と向き合ったからだろう。

こんな時働いていた方が気が紛れて

良かったのかもと思っていた。

だけどこの先の未来は何もないけど

悲しみにとことん浸れる自分は

恵まれてるとも思った。

辛くても彼との別れを受け入れる

時間があるから。


悲しみに耐えて働いている人を

心のそこからすごいと思う。

何かしているから

思い出さないわけではないから

必死に堪えて頑張っているから。

何もかも捨てて浸りたい気持ちが分かる。

何もしていなくても

生きていることさえ投げたしたくなるから。


そんなうちでも毎日生きている。

ご飯を食べて少しでも笑えて

誰かに感謝することだってある。

笑っても泣いても

喜んでも悲しんでも

変わらないのなら

笑って過ごす方がいいに決まってる。

なのに…

彼がいたらもっと楽しいのに

彼がいたら悲しみも乗り越えられるのに

そう思ってしまう自分がいて。


彼の分まで生きて

彼ができなかったことをして

彼との思い出を大切にして

自分の命を全うしたい。

『彼が死んだことよりも

悲しいことも怖いこともない』

自分は生きていける

その言葉に前向きになれたことも事実。

だけど…

『彼がいない未来が何より怖い』

それが正直な気持ち。


彼のことを思い続けていくのか

新しい人生を歩んでいくのか

今決断する必要がないことまで

考えてしまう。

前向きに考えてみても

考えようとしてみても。

きれいごとを並べてみても

思いのまま言葉に流されてみても。

結局は彼のいない現実には

勝てない自分がいる。

一歩前に進んでみては

一歩下がってしまう。

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