また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

彼の最期

彼と同じ病名で亡くなった方のことを聞くと

彼はどうだったのだろうと考える。

眠るように意識を失ったと言っていたが

苦しいのが耐えられず

海からあがってきたのだから

よほど辛かったに違いない。

想像を絶する痛みらしい。

彼も痛かったのだろうか…


ドルフィンした時か

波待ちしてる時か

乗ってる時か

浜に上がってくる時か…

どの時に破裂したのかは分からないけど

彼はよくライフセーバーのところまで

自力であがってこれたなと思う。

もしかしたら海の中で…

最後のお別れさえもできない

なんてこともあり得たわけだし。


日常生活の中で

いつなってもおかしかったのなら

寝てるときでも、運転中でも、仕事中でもなく

サーフィンの時で良かったんだね。

最後の最後まで波に乗れてさ。

しかもローカルの地で。

かっこよすぎるよ!ほんとに。

サーファーにとっては一番の幸せ。

あっちの世界で彼に会えたら

まずこの話で盛り上がるだろうなぁ。

もう波乗りまくってるだろうけど。


それと聞きたいこともあってね。

いつもは一緒に連れて行ってくれるはずなのに

どうしてあの日に限って私を置いていったのか。

最近はこんなことなかったのに。

死ぬ瞬間を見せたくなかったとか?

そんな気遣いする人だった?

なんて思ってみたり。

もしあの時、私が一緒にいたら

何か変わっていたのだろうか。

いつもと違う彼の姿にすぐに救急車を呼べただろうか

彼からの最期のメッセージを聞けただろうか

彼は助かっただろうか

そんなことを考えてみるけど

どれも答えはNOな気がする。

答えなんてもうないけど

最後に会えたからといって

それがいいのかなんて分からない。

会えなかったから会いたかったって思う。

また別の『もし』を考えているんだろうな。


だけどもしあの日助かっていたとしたら

「奇跡だね」なんて話をしてたのかな。

意識を取り戻した

病室にいる彼を思い浮かべてみたり…

そんな二度とこないもしはあまりにも悲しくて。


こうやって思い出すのも苦しい。

わぁーと無性に泣き叫びたくなって

なぜか耳を塞ぎたくなって

息が苦しくなる。

ブログに書いている時は少し冷静になれるのにな。

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