また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

あの時・・・たられば。

今日もまた一日が過ぎていく。
毎日一度は彼がいない寂しさに涙する。
平気なように思えて、少しでも彼を思えば
絶望と悲しみに陥る。


兄が風邪をひいて咳をしている。
風邪だと思えば、ただうるさいだけ。
兄は持病があるから心配だけど
かかりつけの病院に行けば異常はないらしい。
そんな時、彼を思い出す。
死ぬ前にしていた変な咳。
「うるさいなー、たばこやめたら!?」
朝早くからするもんだから苛立ちながら言った。
(彼は毎日5時起き、すぐたばこを吸う)
「これ吸ったらね」
これはもはや口癖だったに違いない。
もしかしたら心臓が苦しかったのかもしれないけど
病院に行かなかったのはひどくなかったからかもしれない。
それでも思ってしまう。
あの時・・・。


彼は自分よりもさらにいい大人なのだから
咳がひどいのにサーフィンしに行ったくらいなのだから
そう言い聞かせてみても
もし病院に連れて行ってれば
助かったのかも、病気が見つかったのかも
そう思わずにはいられない。
思い出せば思い出すほど
昔から彼は咳をしていたような気さえする。
あの時から・・・。
ただ、もう確かめる方法はない。
彼はいつから死ぬ可能性があったのか
いつ分かったら助かったのか
たばこやお酒、高血圧がなかったら
いくつものたらればがあるけれど
これが原因、というものはない。
むしろなくて良かったのかも。
分かったらより自分を責めずにはいられないだろう。


何より、彼はそのたらればを望んでいなかった。
辞めろといったら辞めたかと言えばそうではない。
人生一度きり、そうも言ってたし
うちに長生きして欲しければ
「たばこもお酒も辞めろ」って言うはず。
「吸わっしぇーよ、飲まっしぇーよ」
そう言ってくれていたのだから。
彼がいなくなった今そう思わなければ
私は生きていけない。
あの頃の彼と私は幸せだったんだと。
我慢せず好きなようにしていたのだから。


もし、運命というものがあるならば
何をしようがしまいが彼はあの日死ぬことが決まっていた。
たとえ私と出会わなくても。
そう思ったからといって何か変わるわけではないが
少なくとも今生きていられる理由にはなる。
ただ、ただね・・・早すぎるんだよ、お別れが。
これからの未来はあるのに彼がいないんだよ。
私もいつ死ぬか分からないのだけどね。

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