また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

正体

昨日の夜、親ときちんと久々に話した。
その話の中で「病院に行ってみたら」と。
この体、心の不調の正体…
もしかしたらうつ病ではないだろうか。
昔からすぐ不安になったり、極度の心配性で
病気について調べたり心理学について興味があった。
知識としては少しならある。
少し前も実家に帰った時、慣れない環境になったせいか
尋常じゃない汗が吹き出して
眠れなかったり動悸がすごかったり
自律神経失調症かなって。
それでも彼に話すと
「運動不足じゃない?」とか言って
まともにとりあってくれないんだけど
うちを安心させてくれてた。
今思うと彼らしくて笑えるな。


彼が亡くなってから
動悸がすごい
夜中に目が覚める
たっぷり寝てるのに眠い
やる気がでない
考えたり判断するのが遅い
体重が減ったのに食欲は増した
突然涙がでてくる
悲しみ、絶望を感じる
生きる希望がない
他にもさまざまな症状がある。


ただ彼が亡くなったのだから
当たり前のことなんだと思ってる。
病気ではなく経験した人なら当然の感情だと。


病院やカウンセリング行ったらよくなるの?
薬を飲めば楽になるの?ただ話を聞くだけ?
「彼はずっと悲しんでるのを望んでない」だの
「彼は見守っててくれるから」とか言われるの?
(行ったことないのであくまでもイメージ)
こうゆう言葉は同じ気持ちを経験した人同士が
ともに生きていく、支えあう、分かち合う
だからこそ出てくる言葉なのだと私は思う。
経験しないと分からない気持ちだし
それでも生きていくしかないのだから。


本気で理解しようと寄りそってくれる人もいる。
温かい言葉をかけられて、励まされて
涙がでるほど嬉しくなる時もある。
私は一人ではないのだと思える時もある。
だけど…
そんなことはもう分かってる
そんな言葉が欲しいわけじゃない
そう思ってしまう時もある。
生き返るなら何でもするのにもう戻ってこない
それができないから辛い
それをできないことが分かってるからこそ
この気持ちと闘わなきゃいけないのだ。
受け入れて前を進んでいく
そうしたい、そうしなければ
それができないからこそ今の自分がいる。


こんな風に自己分析もできる、客観的に見ることができる
だから自分は病気ではないどこかでそう思っている。
認めたくなくて、彼がいた時のような自分でいたくて。
うまく言えないのだけど
心の病気がカッコ悪いとかそうゆうわけではない。
強がりかもしれないし、性格的なものかもしれないし
逆に病気だと思うことで
かわいそうな自分でいたいのかもしれない。
どれがほんとなのか、どれもほんとなのか…
分からない。
彼なら「考えすぎ、気にしすぎ」そう言う気がして…
彼が見守ってくれてるのなら
なおさらそうゆう自分でいたくない。
いつも笑っていた、くだらないことが言える
幸せな自分でいたい。
どれもほんとの自分なのかもしれないな。


それでも、少しでも、何か変わるなら
行ってみるのもいいのかもしれない。
ゆっくり眠れれば
症状が治れば
一つでもよくなれば
何か変わるかもしれない。


同じように闘ってる人と
ともに進めると信じて…

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