また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

納骨日

いよいよ今日は納骨式と法要の日。

この日がきてしまった。

最初は彼の希望通り

(私が聞いていた)

全部海にまく予定だった。

でもご家族で永代供養にしようと

決めたらしい。

ショックを受けるかもと

私に話すか迷ったと言われた。

そこまで考えてさせてしまって

申し訳なかった。

他人なのに誘ってくれたことが

嬉しかった。


怖い。

近付くにつれて

行くのが怖くなった。

受け入れたくない現実が待ってるから。

もういないのを実感するから。

ちゃんと行ってあげたいのに

行きたくない。

弱いうちでごめん。

彼がいないとだめなんだよ。


泣かないでいれるだろうか。

少しでも笑えるだろうか。

もう心配かけるわけにはいかない。

あとは孤独との闘い。

みんな親族なのだから。

誰にも言えなかったこと

いろいろな人に話して

悲しい気持ちも思い出も聞いてもらった。

意外と笑いながら話せたこともあって

思い出しながら泣いたこともあった。


だだひとつ…言えなかったことがある。


『どうして自分じゃなかったのか』


大事にしてくれる家族も

話を聞いてくれる友達もいる。

だからこそ言えなかった。

だけど本当はみんなに言いたい。

なんでうちじゃなくて彼なのか。

死ぬのはうちで良かったのに。


『彼に同じ悲しみを与えずにすんだ』

そうゆう考えに救われこともある。

それでも彼は乗り越えられる人だと思う。

自分で言うのもおこがましいけど

うちと同じように悲しんでくれたはず。

だけど彼なら思い出を大事にしながら

その場所に住み続けただろうし

サーフィンだって楽しんだはず。

何より彼は必要とされてる人間だ。

成人してない子供もいるし

支えていかなきゃいけないご両親もいる。

会社にとっても長年働き続けた貴重な存在。

本人は嫌っていたとしても

誰からも愛されていた。

そんな人を連れていくなんて。


比べていい命なんてないのだけど

少なくともうちより必要とされている人。

彼は辛いことがあっても

死にたいなんて思う人じゃない。

うちは死にたいと思ったことがある。

楽になりたい、こんな自分いなくたって。

それなのにいなくなってしまったのは

選ばれてしまったのは彼で。

自分が良かったと心から思う。

うちは彼がいないと生きていけない

生きていきたくないそうまでも思う。

そんなうちを連れていって欲しかった。


今からでも遅くないのなら

私を選んでください。

いつ死んでも怖くない

そんなことを思ってしまう私を。

どうか、どうか。


『○○が生きていてくれるなら良かった』

彼がそう言ってくれないのなら。

二人きり

引越しの片付けのために

亡くなってから初めてアパートで一人過ごす。

最後の方は来てなかったせいか

あまり実感はわかない。

ふらっと来てくれるんじゃないかと…


3時間以上もかかる道のりが嫌いで

たまに実家に帰るのも苦痛だった。

「お疲れさん」そう言って出迎えてくれることも

こんなことがあったよと聞いてくれることも

もうない。


いつも行っていたスーパーに行ってみる。

周りの景色も人も変わらないのに

その中には彼だけがいない。

いつものように家で過ごしてみる。

好きな食べ物を食べ、お酒を飲んでるのに

彼はいない。

二人で過ごした場所は

楽しい時間をいっぱい過ごしたはずなのに

今は悲しみばかり。


だけど無理やり前向きになってみる。

あれ、意外と自分大丈夫じゃん!

思い出話もできてるじゃん!

会いに来てくれてるよね?

うちは頑張って生きていくからね。

そんな風に話しかけてみる。


電話が鳴った。

彼のお母さんからだった。

普通の会話…彼の話をする…

あっ、だめだ。

彼がいない。

なんとかこらえて電話を切る。

その瞬間、ただただ会いたい気持ちが溢れる。

なんでいないの、なんで置いていったの、

なんで神様は連れて行ったの

もう一度会いたい


辛いのは覚悟のうえで

二人きりになりたかった

話がしたかった。



だけど泣いても泣いても

彼がいないことだけが現実だった。