また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

ブログの終着点

毎日彼のことを考える。
何も考えようとしなくても
彼のことだけを考えている。
一度思うともうとめられない。
寂しくて、寂しくて。
もうこの世では彼に会えないのだと
どうすることもできない思いが込み上げてくる。
髪の毛を抜きとりたいような、身体中を痛めつけたいような
そんなどうしようもない苛立ちさえある。
泣きわめいて、当たり散らして・・・
そんな気持ちにかられる。
つっかえをとるには涙を流すしかない。
泣き叫ぶ場所がないから、少しでもごまかせる
お風呂で声を押し殺して泣く。
どんなことをしても彼は戻ってこない
そのことだけを理解していてなんとか自分を保っている。
少しでも冷静な私がいるのも彼と出会えたおかげだろう。


そんなことを思いながら
このブログのことについて考えてみた。
毎日、彼と過ごしてきた思い出や
これからの未来、今思っていることとか
簡単には綴れないほどの気持ちや出来事がある。
だけど・・・
時間が経つにつれてどうなるのだろうかと。
私のお迎えがまだなのだとすれば
彼と一緒に過ごした日々よりも多く
さらには彼が生きていた年月よりもさらに多く
彼のいない時間を私は生きていかなければならない。
それこそがもう彼の知らない私であり
私と彼が共有していない時間。
嬉しいことや悲しいことを彼に報告はできても
一緒に喜んだり、話を聞かせてくれることもない。
何よりこれから先、彼との思い出が増えることもない。
(心の中では彼はそばにいてくれてると信じてるけど)
彼を想う気持ちは毎日あっていろいろ変わるけど
1日1つ彼との思い出話をしても語れなくなる日が必ずくる。
『そういえばこんなことがあったな』
そんな日がきてしまう。
今はそのことが何よりも怖いのだけど。
そんな日なんかこなくていいと思ってるのだけど。


むしろ、他に話したいことができる日がくるかもしれない。
何ヶ月後か何年後、あるいは何十年後か
それは分からないけど・・・
彼との未来はもうなくなったのだから。


だからいずれこのブログを辞める終着点を
決めておかないといけない気がする。
ブログをやってることで救われてるし支えになっている。
もしかしたらどこかで誰かの役に立ってるかもしれない。
彼を想う気持ち、彼と過ごした日々は
どんなことがあろうとも一生変わらない。
だけど・・・
彼のいない人生を進んでいかなければならないのだとしたら
このブログは続けてはいけないと思う。
そんなこと深く考える余裕はないのだけれど漠然とそう思った。


辛い、こうやって実際文章にするのはものすごく。
彼がいないことを認めなくてはいけないのだから。
認めることはまだできない。
だから・・・
このことをきっちり考えるのはまだまだ先でもいいよね?
こんな泣きながら書くくらいなら・・・
今のうちにはまだ無理だったよ。
いやだ、いやだ、いやだ。
まだ頭がぼーっとしてるから
書くことはできているのかも。


彼がいないなんて・・・
受け入れたくない。
一緒にいたいのに。

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