また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

受け止められない

彼が亡くなった日、初めて会う彼の家族。

こんな形で会うなんて思ってもいなかった。

勇気がなくて「会うの無理だよ」

そう言って避けてきたことが

あっさりと実現した。

みんなすごく優しい。

その優しさがすごく悲しかった。

なんで彼はいないんだろう。

うち一人会っても意味ないじゃん…

何より唯一の他人である私は孤独だ。


その日は一人家にいることもできず

離れたくもなくてセレモニーホールに

泊めさせてもらった。

食べる気力も寝ることもできなかった。

なんで、どうして…こんなことに、

昨日まで話してたのに

思い出しては泣いてを繰り返して。

声をあげて泣きたかったけど

アウェーな自分がそうするわけにもいかなかった。

すぐ顔が見たくなっては

布をとって話しかけてみる。

目あけてよ、しゃべってよ、ねぇ起きてよ。

触れてみる。

冷たい…こんなの知らない。

夏はいつもペタベタしてるのに。

冬のサラサラ感とも違う冷たさ。


次の日、母がきてくれた。

顔を見た瞬間

声をだしてやっと泣けた。

「○○が死んじゃったよっ‼どうしてっ⁉」

母も泣きながら

ギュッと抱き締めてくれた。


それから海に彼の車をとりに行くことになった。

今運転できる人がいないし

ロックの番号や駐車場所も一番よく知ってたから。

「無理そうなら大丈夫だよ」

そう言ってくれたけど

彼のためにうちがやれること、

やるべきことのように思えた。

今まで何度も通った道、話したこと、笑ったこと

たくさんのことが思い出されて。

夏は駐車代とられるからと

海から少し離れた安い駐車場に。

車をあけると、いつも海に入る時と

何も変わってなかった。

水が積まれてて、脱いだ服があって、

一服した灰皿があって…

まだいるかのようにいつも通りだった。


いつも利用してた駐車場の

おじちゃんとおばちゃんに伝えて、

「今は辛くても大丈夫な日がくるから」

必死に励ましてくれることにまた泣いた。

その後、交番に死ぬ間際まで使っていた

サーフボードとウエットスーツを受けとる。

彼の家で潮を流す。

いつも彼が中心にやってくれてたこと

いなくなった受け止められない現実が

突きつけられる。

泣きながら、必死に片付けた。

いつも大事にするために手抜き

したことなかったもんね。


台風で波があがっていた。

直前までサーフィンして

大好きな海で最期を迎えられたのは

幸せなことだったんだろうね。

突然の別れ

8月5日。

別れは突然やってきた。

「明日買い物行こうね」

約束してた。

なのにいつもはくるはずの連絡がこない。

何かあったのかなと思いつつも

自分から連絡するのも嫌で待つことに。

(毎度の強がり)

それでもこない。

前日病院に車で行ったから

事故にでもあったのかなと

ネットでニュースを調べる。

特にない…

なんで連絡しないの⁉

少しイラつきながら

「買い物するんじゃなかったの?」

携帯を変えてから初めてのLINEをする。

午後から仕事だったから

そのうち来るだろうと放置。


嫌な感じはしつつも夜ご飯食べて

いつも通り晩酌をする。


『トン、トン』

気のせいかな。


『ドン、ドン、ドン』

ドアをノックする音

なぜかすごく嫌な予感がした。


ほとんど人はこないから。


開けた瞬間…彼のお母さんがいた。

今でも鮮明に覚えてる。


「住所あってて良かった。

○○が死んだの‼」


は…?

何言ってるんだろう。

なんで彼のお母さんがいるんだろう。


そう思ったのもつかのま。


嫌だ!嫌だ!嫌だ!

なに?意味わかんない!

パニック状態だったと思う。

信じられない気持ちでいっぱいだった。

死ぬはずがない、昨日まで一緒にいたんだから。

そう思ってるのに涙が溢れてきた。

あの嫌な感じが虫の知らせというものなのかな。


迎えにきてくれた初めて会う弟さん。

挨拶したのかさえ覚えてない。

とにかく嫌だ、嫌だ、なんで、なんで

それしか頭になかった。


車の中で詳しく話を聞いた。

午前中サーフィンをしてる時に

苦しくなって陸にあがって

ライフセーバーに助けを求めたとのこと。

一時は呼吸が戻ったけどだめだったとのこと。

(聞いた時はほとんど頭に入ってこなかった)


「会わないでおく?」

そう聞いてくれて

本当は見たくなかったけど

とにかく会わなきゃと思った。


すでにセレモニーホールに運ばれていて。

顔の布をとってくれて。

見慣れた顔が…


今まで感じたことのない悲しみ

前が見えないほどの涙

あんなにわんわん泣く自分を知らない。


今でもあの時のことは言葉にならない。

時間が経った今もあの日のことだけは

鮮明に覚えてる。


すぐに受け入れられるはずもなく

とにかく泣くことしかできなかった。


まさに絶望…

最後の1週間

今までとは違った生活が

1ヶ月続いたうちの最後の1週間。

彼の仕事が終わる月曜日、おいでよのお誘い。

鼻声で咳をしていたが

いつもの風邪のようだった。

素直に行きたいと言えないうちは

どうしよっかな、と言うめんどくさい奴、

うちの家の冷房が壊れてからは

(彼が掃除してくれたら壊れたのだけど)

「快適な-2度においでよ」と

めげずに冗談いれて誘ってくれる。

(沖縄のコンドミニアムで気に入った室温)

それから初の4泊することになった。

幸せの毎日…続くと思っていた毎日。



8月3日木曜日。

この日は最近見つけた

2度目のシュノーケルスポットへ。

台風の影響で少し波はあったけど

ずっとついてくる熱帯魚に笑ったり

中央にあるフロートから飛び込んだり

いつものように楽しんだ。


今思うと不思議なことは、

いつもはしゃべりまくるうちが

車内で寝たこと。

その後閉店ギリギリ、

お気に入りの道の駅直売所で

モロヘイヤ、スイカ、オクラ、明日葉の苗を購入。

ドラッグストアでお酒とお菓子を買って

携帯が壊れたから新しい携帯をとりに

ショップへ寄ってから彼の家でご飯。

いつもは何を手伝ったらいいか分からず

彼に聞くぐらいだったけど

この日は勇気をだしてモロヘイヤを刻んだ。

(情けないけどうちにとっては

やりますと言えたことが進歩)


そしていつものように晩酌、一服。

うちの新しい携帯に

「一番ゲット」

と着信履歴を残す。

楽しい日々だったけど

ご両親への気の遣い方が分からなくて

好きなように行動できないこともあって

少し疲れてしまった。

「明日も泊まっていいよ」と

言ってくれたけど

明日は帰ることに決めた。

お決まりの


「最後の夜だね」

「最後じゃないさー、次があるさー」

(沖縄好き)


これが本当の最後の夜になった。



8月4日金曜日。

彼はお母さんを連れて病院のお見舞いへ。

(お父さんが具合悪くなり手術、快方に向かう)

別れる前、庭に植えた明日葉を見ながら

行く度に買って増やそうと約束した。

彼の家からうちの家までバイクで5分。

その日もバイクで帰る。

彼のお母さんに挨拶、

「またいつでも遊びにおいで」と言ってくれる。

彼は近いのに、うちに「気を付けてね」と言う。

うちが「そっちこそ運転気を付けてね」と言う。


どんな言い方で返事してくれたか覚えてないのは

いつも通りだったからだろう。

毎回後ろを振り向きたいけど

意地はって振り返れなかった自分。

どんな風に見送ってくれてたのかな。

きっと優しそうに微笑んでくれてたに違いない。



そしてこれが最後の別れだった。