また逢う日まで

2017年8月、愛する人が亡くなりました。ただただ悲しい気持ちばかりですが、現実と向き合いながら生きていこうと思います。この世にはもういないけれど、また逢える日を信じて。

二人で見た雪景色

東京で雪を見るのは
私にとって10年振りくらいだ。
あの街は降っているのかな・・・
彼と住んでた街は海沿いで
1度しか降らなかったけど
山に囲まれていたから
ちょっと車を走らせれば別世界だった。
雪景色が見たくてよく行った。
車で少しずつのぼっていく
雨からみぞれ、そして雪に変わる瞬間
窓を開けて手をだして
いつもはしゃいでた。
あの真っ白で静かな空間が好きで
「寒いね」っていいながら一服するんだよね。
雪が積み上がる前だけできる
駐車場でのドリフトが彼は好きだった。
数少ない残ってる動画の一つで
楽しそうな彼が映ってる。


思い出すのは怖いのに
見たくなってしまう
見れば寂しくなるのが分かっているのに
それでも、泣きながらでも
彼を想っていたいのかもしれない。
その後、
彼に会いたくて
彼の所に行きたくなってしまうのだから
今の私には・・・だめなんだろう。


雪だけで
彼との思い出がたくさんある。
毎年恒例のこともあれば
少し違ったことをしてみたり
来年の話をしてみたり。
雪山、雪道、雪遊び...
どれも楽しかった。
もう二度とこない
その寂しさに耐えられない。
一人で見たって何も楽しくないね。
悲しいけど
悲しい思い出にはしたくない。
だけど...やっぱり悲しい。


たまに一緒に写真見て
「懐かしいね」って。
またそう言って彼と笑いたいな。
一人でそう思う日なんかきてほしくない。

必ずくる

ブログを書いてない日が...
こんなにも経っているなんて気付かなかった。
情けないけど、今も変わらず
ぼーっとしてるだけで
一日が過ぎて行く。
からっぽのままでも心に変化はある。


自分だけの人生を考えてみても
やりたいことがない、やり残したことがない。
彼がいたから生きていた
『なんで私じゃなく彼だったんだ』
そんなどうしようもない考えにたどり着く。
彼としてきたことをやっていく
そうしようと思ってみても
彼と見た景色を一人で
彼としたことを一人で
一緒にいた空間を一人で...
それを想像するととても耐えられない。
一人で生きていく自信がない。
心がついてこない。


だからといってこのままずっと
こもっているわけにもいかなくて。
気持ちはごちゃごちゃ
頭の中もわけ分からなくて
彼がいなくなってどうしようもなくなった
現実に叫びたくなるほどの苛立ち。
思いっきり泣き叫べば楽になるのだろうか・・・
いっそのこと何も考えられなくなってしまえば・・・


だけど冷静な自分がいる
こんな状況でも多少良い子ぶってる自分もいる
それが辛い時もあって、嫌な時もあって
自分で自分を苦しめているところでもある。
誰かに素直に頼れなくて
引きこもることが自分の守り方になってて。
もしかしたら...だからこそ...
私は今生きていられるのかもしれない。
甘えなんだろうけど
これ以上親を悲しませられない、迷惑をかけられない
悲しんでくれる人がほとんどいないとしても
家族が悲しむということだけは分かる。
だから彼の元にいくという選択は...できない。
ただ・・・そうしたい気持ちはある。


こうやって過ぎて行く何もない一日だけど
確実に彼に会える日は近づいている。
今終わらせなくても絶対にくるのだから。
そう言い聞かせて、そう信じて。

分かっているはずなのに

ここ最近、ますます気持ちが落ちて
ブログに吐き出すことさえできなかった。


最初の数カ月はやはり麻痺していたのだと思う。
辛い、悲しい、その気持ちは常にあったけど
自分のことではなく
他人の物語のように感じていたのだから。


それがだんだん・・・
彼を思いながら綴ること
それこそが現実であって
彼がいないからこそのことだと気付くようになる。
生きていれば今頃
お酒を飲みながらご飯を食べてるかな
テレビを見て笑ってるかな
そろそろお風呂に入って寝てるかな


『明日は何をするのかな』


・・・なんて
ブログを書くなんてことは日常にはなかった。
きっとそんなことすら考えずに
ただただ過ごしているに違いない。


だからこそ彼との
「また明日ね」
それを当り前のように受け取った。


何気ないはずなのに
今もあの日が印象強く残っているのは
最後のような気がしたのか
思い出を美化してるだけなのか
それは分からない。
だけど・・・
私はあの日のまま
時がとまっている。


どうしたって心がついていかない。
分かってるはずなのに
泣くことしかできない。
情けなくても
弱くても
もったいない時間だとしても・・・
生きている、生かされてることが
精一杯なのかもしれない。